レビューや会を続ける上でのまとめ。

続けるために必要だと思ったことを書く。
考えを纏めたメタな知見ではないので、何が言いたいのかはっきりしないだろうけど、とりあえず、材料や情報は沢山あれば良いだろうと思っているので(ゼロはゼロだろとか無しね)、だらだら書く。取捨選択できるほどの力がないしね。仕事だとこんなんじゃ駄目々々なんだけど。せめて推敲くらいするべきだろうけど、、、。と言い訳と反省してると見せかけて↓。(今は夜中だ。なんだかよく分からなくなってきた。明けてきた)



  • やると決めたら定期的に行うべき。延ばすな危険。

 例えばこの勉強会です。とりあえず、報告ついでに最近の会の経緯を綴ります。
GW前に分析のクラス図を書こうとしましたが、長期連休なので仕事もある程度切をつけなければならず、周りもそう動いていましたので、また、まだ秘密であるので会の時間に打ち合わせが入ったりしました。週1時間ですがその週は日数が少なく、まずは仕事が優先であるべきと考え次に延ばしました。するとGW開けの週も日数が少ないので、次の週へ。その次の週は、、何があったっけ、新人さんが来たり、仕事も〆的な段階だったりして、結果3週開きました。
そして今週、3週前のことなんて覚えてないよね!と。そして、間が開くと当初のやる気も萎えてきます。ということで、分析段階のクラス図は置いておいて、一旦各自まとめをすることに決定しました。
 何をするにも多かれ少なかれ力が必要になります。実際に行えば楽しかったりしますが。行う前は現在に存在しない未来の楽しさよりも、現在行っていることの方が利益にしろ不利益にしろ把握できるのである意味安心であり、此れを止めて違うことをするというのはなかなか億劫に感じます。現在の業務を取るのは必然。しかし、定期的に行えば、習慣性とか義務感、冷め切ってない熱があるので、これらが勢いになったり、慣性が働き実行することのハードルを下げると考えられます。少なくとも、余裕のある人がやっていれば、会は続けることができます。(これは最低限で、会の次も続けたい思わせる内容なのかとか、楽しさや勉強の成果や業務を一旦離れてリフレッシュできる等、利益が認識できれる方がよりハードルを下げうる要因になるのでしょうが。)

  • 意見を言うべきはモノであって人ではない。この意見は此処に有るモノに、だ。

エントリー「レビューの仕方を考える。」のリンクでもあるように、コードレビューの時、人ではなく、コードそのものについて意見を出すべきです。そして、批評は良いけど、非難は駄目。幾ら創った人が創ったモノを切り分けようとしても、攻撃されたと感じる。もう後は泥沼。みんな沈んで何も見えないし聞こえない。この段階でそれをされるほどの責任があるのか、行き過ぎた新自由主義はむやみに殺伐となる。それはもったいない。
これはコードレビューだけでなくても、何か改善するときにも気をつけないといけない。改善しなければならないのは、言われた人なので、外野から無責任に言うようなことをすると、不満を抱えたままになり、無理やりやらされてる感が起こる。折角のアドバイスが生かされず、双方無駄骨を折ることになってしまいます。
逆に、自分や自分の仕事が非難されているとか思ってはいけない。難しいことだけど、我慢なりプラスに考える、引っ張らない。その場でそれを受け止めきることができないこともあるから、まわりも気を配る。
みんな違う環境で生きてきたんだから、同じ常識や価値観を持っていないし、同じ経験や知識を有しているわけではない。それ故、気づきの才や各人にとって必然性が違う。だから、明確な非難だけでなく、「当たり前のことだけど」等の言葉も気をつけないといけない。(当たり前のことと思っていること程キツイ言葉を放ってしまう、そもそもキツイつもりでなくても。)

  • この意見はおもしろい。その意見はすばらしい。あの意見はサイコーだ。

「意見を言うべきはモノであって人ではない」とは言っても、創り出されたモノと創り出した人が、スッパリ分けることはできない。だから、上記のように悪いことはしないし、そう思わないようにしなけれなりません。しかし、良い事ならばその繋がりを否定することも無いでしょう。創り出せたのはあなたなのだから、評価はされるべきです。創りだしたモノの特権。
また、俄かに評価できるものでなくても否定する必要は無い。実は重要な事項の要因であったり、他の要素と組み合わさったり、時代や環境が変わることによって化けるモノかもしれない。これを貶してしまう事は花が咲く前の蕾を花では無いと積むことと同じでしょう。このことによって、次からその人の中で芽生えたモノが過小評価され表に出さなくなる、それは、発芽の機会さえ奪うことと同じです。そしてそれは、チャンスをふいにします。地中に埋まった種は見た目上存在せず気づかずにアスファルトで固められればそれまでです。それがよっぽど力強いモノであり、余程のエネルギーがなければ。
パクってなければ同じ意見でも言えば良いと思うし、無下にしなければ意見ちょっと付け足しても改変したものにしたことでもどんどん言って評価し、意見アイデアを出しやすい環境を作り出せれば良い。(1番乗りの価値が途方も無い発明や発見で無いのなら問題はないのではないでしょうか。アンドリュー・ワイルズとかすごいよね)
でもなかなか難しいですけどねぇ。貶されるのは当たり前として、言う人にとっては普通のことでも癪にさわることもある。みんな同じ経験や環境で生きてきたわけではないので褒められことでさえプライドを傷つけられることもある。自分だけが評価を得たいし、評価することによって自分が下がる感じがする。なるべくそんなことを思わないでいい様な、考えや環境を共通に持つための、さっぱりした空間が実現できれば良いね。

  • 言うべきことは言う、大事になる前に。貴方もそれを放置したのだろう。

言うべきことは言える関係や環境ができればベストだと思う。意見を言う機会を得たら相手にも意見を言う機会を与えて消化不良を起こさないようにしなければいけない。モヤモヤしてると、攻撃的になるし、相手は意味不明だし。相手を尊重して想いを伝えられればすばらしいのだが。後になればなるほど言いづらくなる。言われたほうも何を今更とか思う。情報を共有することによって、誤解を解消しやすくする必要がある。少なくとも仕事だとでも思って割り切って意固地にならないようにしなければならない。。。

  • 環境をつくっても、やるのは人間。勉強の前には部屋掃除。

結局は人が行うので、他がどんだけ合理的なことを考えて環境を作っても、嫌なことは実行されない。よっぽど、その人にとって価値が高いとか、意地があるか、或いはマゾか(ぉ。
価値とはなんだろうか、お金とか、評価だったり、認知だったり、楽しさだったり、好奇心だったり、達成感だったり、便利さだったり、なんか期待できること。期待をどう認識すること、させることができるか。そして、それらを得るにはどうしたら良いか。現在行っている事柄を一旦置くことができるか。そして。どれだけ楽に手に入れれる方法を提示できるか。なるべく別の文化で生きてきた人でも実行するハードルが低くなるように、同じ環境にいることによって得られる暗黙値を無くせるか。これらを実現できれば、逃避せずに突っ込んでいけるはず。言うは易しだけれど、実際にどうしたら良いのだろうね。行動分析学とか失敗学、情報デザイン等々が役に立つかな。
なんか方向性が変わった。価値の以前に、嫌いなこと、嫌悪感を無くさないと何も始まらない。これはまだよく分からない。。。

  • 何事も程ほどに。もう勝手にしろ。

何事もやりすぎると、ウザい。もう既にこのエントリーがウザい。書いていてウザい。手を出そうとすればどれだけでも手を出せるが、そうすると収集が付かなくなり、面倒臭い。だから、ちゃんと纏めてない。なので、座りが悪いエントリーなのだろう。

  • まとめ

あまりにあまりなので、若干纏め。
続ける為にはエネルギーがいる。また、始めるにもエネルギーがいる。その為に、なるべく摩擦を減らし、そして、エネルギーを補給しなければならない。
(各自の価値観を持ったまま)共通の価値観を構築し、非難されていないと割り切れるような環境を創るために、意見を率直に言ったり、互いを不快にしないルール(人を批評しない、自分と相手は違うこと意識する)が必要である。そして、やっていることに価値が見出せるように、相手や相手の意見を尊重し冷静に評価し、欲求を満たせるようにする。そして習慣化することによって、労力を無駄にしないようにする。意見を言ったり言われたりするチャンスを平等に持つべき。鉄は熱いうちに。
やりすぎて重くならないように。(重いとか気にしないで欲しいんだけれどね。もっと不真面目というか自由になれば良いと思う。)



つらつら書いてきたが、まあ、書くほどでもない、生きていれば自然と会得しなければならないコミ力だなぁ。自分が嫌になってくるのぅ。。。自己啓発的だ。嫌いな言葉なのに。つか、会の公式の所で書くべきないかもしれないねぇ。でも。合意できる環境を構築する為には、泥臭いところも通らざるを得ないと思うことにする。中二とか言うな!
最後まで付き合ってくれた方に感謝。